風林火山
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はじめに
井上靖原作のテレビドラマ『風林火山』NHKの大河ドラマで始まりました。
武田信玄がこの諏訪と縁が深い由縁は、当時諏訪氏の本拠であった上原城が約40年に渡る武田氏の信濃攻略の拠点となったからでないでしょうか。
武田家にとって信濃攻略は、天下取りの出発点でもあり、大河ドラマの主人公である山本勘助が、武田信玄に進言した最初の策略でもあります。
天文11年(1542)6月、信玄が諏訪領の進撃を開始すると、諏訪勢は瞬く間に城を追われ、上原城から桑原城に脱出します。
桑原城に篭城した諏訪頼重でしたが、7月5日についに降伏。
頼重・頼高兄弟は甲府へ護送され、甲府の東光寺において、7月21日自害させられたのでした。
山梨県とはお隣の諏訪地方には、風林火山と関係深い場所が各地に点在しており、
その一つ一つに触れるだけで、歴史に名を残す勇達の姿を堪能できる筈でしょう。
年表
天文11年(1542) 晴信、信濃攻略を開始。諏訪頼重、甲府・東光寺で自害。
天文12年(1543) 頼重の娘・由衣姫(諏訪御料人)が晴信の側室となる。
天文15年(1546) 晴信と由衣姫の間に勝頼が誕生。
天文17年(1548) 晴信、諏訪に出陣。長時と塩尻峠(勝弦峠)で戦い勝利。
天文18年(1549) 高島城(茶臼山城)が諏訪統治の本拠となる。
天文22年(1553) 第一次川中島の合戦。
弘治元年(1555) 第二次川中島の合戦。由衣姫死去。
弘治3年(1557) 第三次川中島の合戦。
永禄2年(1559) 晴信、出家して「信玄」と名乗る。山本勘助も出家し「道鬼」を名乗る。
永禄4年(1561) 第四次川中島の合戦。山本勘助、武田信繁らが戦死。
永禄5年(1562) 勝頼が「諏訪四郎勝頼」を名乗り高遠城主になる。
永禄7年(1564) 第五次川中島の合戦。
元亀4年(1573) 徳川・織田連合軍を撃破するが、帰国途中で武田信玄死去。